ジュニア・オールブラックス
ジュニア・オールグラックスは、これまでのニュージーランド・アンダー23・ジュニアと違い、エイジグレードのチームではありません。それどころか、オールブラックスに次ぐニュージーランド代表チームなのです。1958年、ニュージーランド・ジュニアチームが日本遠征を敢行して以来、ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ、オーストラリア、イングランド、南アフリカ、フィジー、トンガなど各国で代表チームと試合をしてきました。
例えば、コリン・ミーズ、ケル・トレメイン、グレアム・モーリー、イアン・カークパトリック、グラント・フォックスなど、ジュニア・オールブラックスの前身であるニュージーランド・ジュニアチームで活躍した選手の多くが、その後オールブラックス入りを果たしています。
ジュニア・オールブラックスの監督の一人であるコリン・クーパーは、1982年の国内遠征(4試合すべてに勝利)チームでプレーしました。
ジュニア・オールブラックスは、パシフィックネーションズカップで2006年、2007年、2009年に優勝しています。
アンダー20
ニュージーランド・アンダー20は最も新しいニュージーランド代表チームで、2008年に初めて代表選手が選ばれましたが、 ニュージーランドの才能ある若い選手にとって、彼らの技術を伸ばし、また試される場所となっています。
国際ラグビー評議会が国際エイジグレードラグビーを再編成したのを受け、2007年にニュージーランド・アンダー21とアンダー19に代わるチームとしてニュージーランド・アンダー20が結成されました。
前ニュージーランド・エイジグレードチームも国際舞台で大活躍しました。
ニュージーランド・アンダー21(旧称コルツ)は、1955年に最初の代表選手が選出されて以来、2007年まで毎年試合をしてきました。そして、2000年、2001年、2003年、2004年に世界タイトルを獲得しています。
ニュージーランド・アンダー19は、1990年に最初の代表選手が選ばれ、IRBアンダー19・ジュニアワールドチャンピオンシップでは、1999年、2001年、2002年、2004年、そして最後のトーナメントとなった2007年に優勝しました。
ニュージーランド・アンダー20チームは、2008年の第一回IRBワールドジュニアチャンピオンシップに出場し、優勝を遂げました。また、2009年に日本で開催されたIRBジュニアワールドチャンピオンシップでも決勝戦でイングランドを破り優勝杯を保持しています。
ニュージーランド・マオリ
ニュージーランド・マオリチームはグランド内外で輝かしい歴史を誇っています。1994年から2004年にかけて26試合を行いましたが、イングランド、アルゼンチン、スコットランド、フィジーを破った試合を含め、なんと22試合で勝利を収めています。さらに、2004年にカナダで開催されたチャーチルカップでは、決勝戦で対戦したイングランドを延長戦で破り優勝しました。2005年には、遠征にやって来たブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズを19対13で打ち負かしています。マオリ・ラグビーの歴史の幕開けは、当時ニュージーランド・ネイティブズとして知られていたチームが、1888年から1889年にかけて行った最初の世界遠征までさかのぼります。その14ヶ月間に及ぶ遠征では、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドを回り、107試合もこなしました。1910年に初めて公式チームとして認められて以来、ニュージーランド・マオリチームは世界レベルで通用する優れた選手を何人も輩出してきました。例えば、1924年から1930年にかけてオールブラックスとして46試合に出場したフルバックのジョージ・ネーピア、ニュージーランド代表選手として86試合でプレーしたスクラムハーフのシド・ゴーイング、27のテストマッチを含む61試合にニュージーランド代表として出場したタネ・ノートン(元オールブラックス主将かつ元NZRU会長)などが挙げられます。
ブラックファーンズ
ブラックファーンズは、ウェールズで行われた1991年の女子ラグビーワールドカップには自己負担で参加しましたが、その翌年の1992年にNZRUの公式ニュージーランド代表チームとなりました。1998年、2002年、そして再び2006年にIRB女子ラグビーワールドカップに優勝し、国際女子ラグビー界でのニュージーランドの圧倒的な強さを見せつけました。また、彼女たちの強さは、州チーム、クラブそして高校でラグビーが盛んになったことを反映しています。ブラックファーンズは、この3つの世界タイトル以外にも、2004年にエドモントンで開かれたチャーチルカップでも決勝戦でイングランドを破り優勝しています。そして、2005年には決勝戦でカナダに勝ち、カナダカップを手に入れます。2007年は、ローリー・オライリー記念杯をかけたテストマッチでオーストラリアのワラルーを2勝0敗で破り、記念杯を保持しました。また、2008年に行ったオーストラリア遠征でも、ブラックファーンズはテストマッチで2勝0敗の成績を収めました。
2009年11月には、イングランドに遠征し、イングランド代表チーム戦2試合を含む3試合を行う予定です。
セブンス
ニュージーランド・セブンスは1983年、あの有名な香港トーナメントに最初のえり抜きのメンバーからなる国際チームを送った時、誕生しました。1986年にニュージーランドは初めて香港で優勝し、2000年にはIRBワールドセブンス・シリーズの第1回大会を制覇。以来5年間連続してそのタイトルを保持しています。さらに、コモンウェルス競技大会では、1998年、2002年、2006年に金メダルを獲得しています。2005年にはIRBセブンスに連続で6度目の優勝を果たし、2007年には7度目の栄冠を獲得しました。
ハートランド15
元々ニュージーランド・ディビジョナル15として知られていたニュージーランド・ハートランド15が創設されたのは1998年で、エアニュージーランドカップ(NPC)の2部及び3部リーグの選手がより高いレベルでのプレーを経験できるようにしたものでした。2006年にエアニュージーランドカップ(NPC)の2部リーグと3部リーグがハートランド・チャンピオンシップとなり、この大会はより多くの選手に国代表となるチャンスを与えることになりました。初めてニュージーランド・ハートランド15代表が太平洋諸島に遠征したのは2005年のことで、トンガ戦、フィジー戦を含む6試合に全勝しました。その後、2006年にアルゼンチン遠征、さらに2008年にはアメリカ遠征を行い、パシフィックコースト・グリズリーズとUSA選抜15を破りました。
このチームはカルロス・スペンサーやジャスティン・マーシャルをはじめ数多くのオールブラックス選手の出発点となっています。その他にも、輝かしい選手生活の初期にハートランド15のジャージを着た選手には、ジェフ・ウィルソン、トッド・ブラックアダー、ノーム・ヒューイット、サイモン・カルハン、マシュー・クーパーなどがいます。
ニュージーランド高校代表
ニュージーランド高校代表として名を馳せたオールブラックス選手も少なくありません。その中でも、1996年に31対22でオーストラリアを破ったチームでプレーした、ダグ・ハウレット、ケビン・メアラム、カール・ヘイマン、アンドリュー・ホアは目立った存在で、 ホアはその時の主将でした。そして、長年にわたり、その後オールブラックスに成長していく選手が何人も、ニュージーランド高校レベルで強烈な印象を与えています。例えば、1998年の代表だったアーロン・メイジャー、ミリリ(ミルズ)・ムリアイナ、ジェリー・コリンズの三名はほんの一例です。最近では、ジョー・ロコゾコ(2000~2002年)、サム・トゥイトゥポウ(2000年)、ベン・アティガ(2000~2002年)、ジェイミー・マッキントッシュ(2002~2003年)、リアム・メッサム(2001~2002年)が注目を集めました。マッキントッシュはニュージーランド・アンダー19の主将として、2004年に南アフリカで開催されたワールドカップで優勝し、また、メッサムは、同年、IRBワールドシリーズでニュージーランド・セブンスの代表チームを5度目の優勝へと導きました。ニュージーランド高校代表が最近行った27試合の内で敗北したのは、2002年パリでの対フランス・アンダー19、2005年シドニーでの対オーストラリア高校代表A、2008年ニュープリマスでの対オーストラリア・アンダー19、とわずか3試合のみです。
2009年の代表チームは10月にオーストラリア遠征を行う予定で、オーストラリア高校代表A、さらに、1試合だけの国際試合となるオーストラリア高校代表と対戦します。












