![]() //Getty Images |
ブレディスローカップの歴史
James Mortimer - allblacks.com - (2009/07/17)
ブレディスローカップの歴史は、チャールズ・バサースト(ニュージーランドの第四代総督であり、初代ブレディスロー卿)が、オールブラックス対ワラビーズの試合のシンボルとしてブレディスローカップを授与した80年近く前までさかのぼります。
![]() |
![]() |
ブレディスローカップ開設当初は、第二次世界大戦などによる中断があり、不定期に開催されていました。
現在、ブレディスローカップは、世界のラグビー界の最高峰と誰もが認めるオールブラックスとワラビーズの両雄が対戦する、勝ち取ることが最も難しい栄冠の一つであると見なされています。この有名なトロフィーを獲得するには、挑戦する側がその年のシリーズ総試合数で勝ち越さなければならず、引き分けだった場合はそのままカップを保持できる前年優勝者の方が有利になります。
今年、挑戦者であるワラビーズは、ブレディスローカップを勝ち取るために、オールブラックスを3試合破らなければなりません。
しかしながら、今まで、オールブラックスが同じ対戦相手に3敗したのは、1976年、1970年、1949年にスプリングボックスに、そして1998年と1929年にワラビーズに敗れた5回だけです。
初期のブレディスローカップでは、オールブラックスがトロフィーを完全に独占していました。ワラビーズが初めてタイトルを獲得したのは1934年、25対11でオールブラックスを破ったシドニークリケットグラウンドです。
この時のワラビーズは、オーストラリアの生んだ歴史上最も偉大な人物の一人、エドワード『ウィアリー』ダンロップ卿もいたワラビーズ史上有数のチームで、「ジブラルタルのロス」と異名をとったフルバックのアレック・ロスに率いられていました。
しかし、その後、オールブラックスは1936年から1947年にかけ、ワラビーズに対して9連勝するという、オールブラックス史上最強の時代へと突入します。
1949年、トレバー・アラン主将率いる強豪ワラビーズは、ついに2度目のブレディスローカップを手にします。この年のオールブラックスは実は2つあり、一つは南アフリカ、もう一つがオーストラリアと別々に対戦していたため、この年の結果を数値的な基準だけで判断するのはどうか、と疑問を投げかける人々もいますが、オーストラリアと対戦した「ブレディスロー・チーム」はともかくも0勝2敗でワラビーズに破れ、オーストラリア代表チームが敵地ニュージーランドのスタジアムで勝った初めてのシリーズとなりました。ニュージーランドはカップを手放しますが、この時に敗れたオールブラックスを率いていた、センターのマオリ人、ジョン・バーンズは、その年のトム・フレンチ・カップ(傑出したマオリ人選手に送られる賞)を受賞しています。
次の27年間(1951年~1978年)は、ブレディスローカップ史上最長の12回連続優勝など、オールブラックスがタスマン海を挟む対戦で圧倒的な強さを見せる時期となります。
また、この時期、オールブラックスは、フレッド・アレン、ボブ・ダフ、ドン・クラーク、ウィルソン・ウィネレイ、初のグランドスラム制覇を果たしたチームの主将グラハム・モーリーなどの伝説的選手を数多く輩出しました。
1979年と1980年は、オーストラリアが連続してブレディスローカップを獲得しました。この2年連続優勝により、ワラビーズが正真正銘の世界の強豪チームであることが証明されたといえます。しかしながら、現在までにワラビーズが2年以上カップを保持したのは、このときを含めわずか2回だけです。
1982年から1985年は、オールブラックスが4年連続してブレディスローカップに優勝し、ニュージーランドが再び優勢となる時期となりました。
アンディ・ドルトン、スチュー・ウィルソン、マリー・メクステッド、バーニー・フレーザー、ゲーリー・ウェットンなどの選手が中心となり、オールブラックスは世界のラグビー界を席捲し、ブリティッシュライオンズ戦でも全4試合に完勝しました。
オールブラックスがこの歴史的な初のグランドスラムを達成したわずか2年後の1986年、アンドリュー・スラック率いるワラビーズが、37年ぶりに敵国ニュージーランドから栄冠を勝ち取ります。ニック・ファージョーンズとデビッド・キャンピージは、この時の歴史に残るワラビーズのメンバーでした。
この年、ニュージーランドは、キャバリアーズの南アフリカ遠征を敢行し、これによってかなりの主要選手をキャバリアーズに取られた結果「ベイビーブラックス」とまで呼ばれたチームは、初戦でワラビーズに惜敗し、第2戦で引き分け、続くイーデンパークで行われた第3戦では、オーストラリアに22対9で大敗します。
1987年から1991年まで、ワールドカップ覇者であるオールブラックスはオーストラリアに快勝を続け、5年連続で栄冠を保持し続けました。ニュージーランドはこの間、タスマン海を挟んだライバルに対し、26勝5敗という驚異的な強さを見せています。
ワラビーズは、ワールドカップを制覇した翌年の1992年にブレディスローカップを奪回しましたが、翌年にはオールブラックスに敗退し、その次の1994年で再度奪回に成功しています。
ラグビーユニオンのプロ化が目前に迫った1995年からは、オーストラリアラグビーの隆盛をものともせず、オールブラックスがワラビーズに対し7連勝を収め、3年連続でカップを保持しました。更に、第一回と第二回のトライネーションズのタイトルも勝ち取っています。
しかし1998年、オールブラックスはオーストラリアラグビー史上最強の時期を迎えたワラビーズに栄冠を明け渡し、その後ワラビーズは空前の5連覇を達成しました。
ニュージーランドは、1998年から2002年まで、カップを手にすることができませんでした。これはオールブラックスにとって最も長期にわたるもので、その間、ワラビーズ戦に11戦8敗というオールブラックス史上最悪の結果を残しています。
しかしながら、11試合中の総得点数がオーストラリアの246点に対し、ニュージーランドはわずかに劣る223点であることからも分かるように、ニュージーランドラグビーの強さは以前健在といえました。
2003年、オールブラックスは、ワラビーズの本拠地シドニーで、ワラビーズにとって自国での最大の敗北となる50対21というスコアでワラビーズを粉砕し、圧倒的な強さでブレディスローカップを奪回しました。
それ以後、オールブラックスはカップを手放していません。
2003年から今日に至るまで、オールブラックスはブレディスローカップを保持し続けており、これはブレディスローカップ史上2番目の最長記録となっています。そして、この間、最も対戦数の多いライバル・ワラビーズとの16試合中12試合で勝利を収めています。
ブレデイスローカップの記録(1931年正式開催以降)
対戦成績:113試合、ニュージーランド77勝、オーストラリア32勝、引き分け4試合
シリーズ成績:49シリーズ、 ニュージーランド37勝(1931年を含む)、オーストラリア12勝
| 友達に送る | Add to del.icio.us |






